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【おそ松さん】最終回の展開を予想します【本音トークぶった切り】#チョロ松

現在、2016年3月22日!「おそ松さん」最終回の内容、ずばり当てちゃいます!

TVアニメ「おそ松さん」最終回「おそまつさんでした」を観ていない人は閲覧注意!
(あまりの神展開を先に知ってしまうと本編を心ゆくまで楽しめず泣いちゃう恐れがあるので)





一、開会宣言



ここでは、おそ松さん後半クールOP,「全力ばたんきゅー」が開会宣言の代わりになっている。




あぷっぷっぷっぷぷ〜ぷぷぷぷぷーぷっぷっぷっぷぷ〜

ぷぷぷぷ ぷっぷっぷっぷぷ〜ぷぷぷぷぷーぷっぷっぷっぷぷ〜

大変ご多忙おニートさん、ちきう、あちこーちぐ〜るぐるー

(以下、省略)




次、軽く前置きしつつ本題


こんにちは。皆様。「トト子大慌て」、そして「手紙」はもう視聴されましたでしょうか。Bパート「手紙」は「おそ松さん」らしからぬ雰囲気がだだよっていたのは説明不要でしょう。チョロ松が書いた手紙の内容は明かされず、次回へ持ち越し、という形がとられていました。


今後の展開が気になる!来週が待てない!という方もいらっしゃいます。私もそうです。そこで、(おそ松さんファン&深夜アニメ批評家&世紀のおそまつ絵師として)未熟ながら、最終回の展開を予想し、ここに述べさせていただきます。



おそ松さん」最終回のオチ、それは「六つ子の個性がなくなり、『おそ松くん』時代のような個性のない六つ子に戻ってしまう」というものだと、私は予想します。


根拠ですが、まず第一に、最終回に近づくにつれて、六つ子の顔が少しづつ似てきたと感じたことです。私第一話、第二話等の視聴時には六つ子の見分けなど全然ついていなかったのですが、もう誰が誰かわかります。その六つ子、最近作画的な面で些細ではありますが個性が失われていると思っていました。これが一つの布石になっていると考えるのもおもしろいのではないでしょうか。そもそも「ニート」というのが成人して個性を持つ六つ子の特徴であり、自立することで「ニート」レッテルとともに個性を失う可能性もある、と考えることができます。


第二に、「いっしょにいるとまずい」というニュアンスの発言がトド松(ぼくらはいっしょにいちゃいけないんだよ)とカラ松(いっしょにいたら六つ子は、いや、俺はだめになる)からなされていることです。「一緒にいてはいけない」とはどういうことでしょうか。「だめになる」とは。私の見解はこうです。


「おそ松くん」時代六つ子。自我がない。6人みな一緒。

働きたくない六つ子。愚痴を言い合い、自らと比較でき、一緒に堕落できる奴がいれば働かなくても互いを慰めあえるので問題ない。6人それぞれが個性を持つことでそれぞれの比較対象となる。6人が一緒の性格のままではだめ。”自分”がどんどん落ちぶれるだけになってしまう。

おそ松さん」六つ子、完成。それぞれの個性を持つ。ニート

””ずっとこのままではいられない。””自立を始める六つ子。ほかの5人と比較を行う必要がなくなってくるので、個性が失われる。


文章でうまく表現できないので””ベクトル論法””を使って処理をしました。6人が別々になることで自立はできますが、個性はうしなわれます。




三、閉幕のご挨拶



ずいぶん長々と書いたので、これで終わります。


何?おそ松はなんで終始キレていたか?チョロ松の手紙の全貌?





ふ〜。





それは今知る必要はない!!!!!!最終回放送当日を楽しみに待て!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




じゃ、終わっていきま〜す