アングロサクソン人トミー激こう! 「ダーリン・イン・ザ・フランキスの監督は俺にやらせろ」
おはようございます! トミーです。
先日、大団円のなか最終回が幕を閉じた「ダーリン・イン・ザ・フランンキス」。有識者の内でも評判は上々であると聞いています。
ですが。私からは一言申させていただきたい。
『Darling in the FRANXX』よ。こんなところで満足するなよ。と。
1.フリップフラッパーズとダーリン・イン・ザ・フランキス
いい作品を作るか。それともヒット作を作るか。プロの間でも意見が分かれる深夜アニメ批評界永遠の命題ではありますが、『ダーリン・イン・ザ・フランキス』はそのどちらでもない、というのが私の意見であります。
少し辛口採点だろうか? 持論だが、そんなことはない。『フリップフラッパーズ』という深夜アニメがある。
『フリップフラッパーズ』は、"いい作品を作ろうとしてヒット作になった"という稀有な例である。
作中で高いところに登った"ヤヤカ"を見て「煙。」「ばか。」と言った双子を見て、思わず唸ったのを覚えている。
対して『ダーリン・イン・ザ・フランキス』はどうだろう。"ごろうくん"が
昨日は雨で今日は晴れ。明日の天気はなんだろう。
そうやっていつも君の天気をうかがっている。
突然のスコールも、からっと晴れる青空も、君の視線をたどれば、予報はいつも単純で明快。
と言っただけではないか。これではてんでお話にならない。
2.プラスティック・メモリーズとダーリン・イン・ザ・フランキス
『ダーリン・イン・ザ・フランキス』が"いい作品"足り得なかった理由の一つとして、ラスボス"BIRUMU"の強さがあまりよくわからなかった点が挙げられる。
ならば"ひろくん"と"ゼロツー"、ふたりの関係に重きを置いて描写すればよいのだが、これもうまくいっていない。
強敵出現!→"ひろくん"と"ゼロツー"が繋がってなんかよくわからんけどすごい!→勝った!
これを今までの展開で使いすぎてどうしても二人の関係を強敵を倒すための手段だと勘違いしてしまう。見せ場の心情描写に心を揺さぶられる余地がなくなってしまうのである。
やはり、見習うべきは『プラスティック・メモリーズ』最終回である。自然とほほを涙がつたう。そんな最終回を視聴者は望んでいたのだ。
制作陣も「あれ? ワイらがつくりたいのはこんな最終回だったけ?」こう思ってるはずだよ。
3.さようなら、ダーリン・イン・ザ・フランキス
というわけでね。重箱の隅を楊枝でほじくるような指摘をさせていただきましたけれども。これも『ダーリン・イン・ザ・フランキス』の更なる飛躍を願ってのこと。
この作品がTrigger、そしてA-1Picturesの押しも押されもせぬ代表作であることはまちがいないのですから。今後も頑張っていただければなと、思いますよ。
それでは次のダーリン・イン・ザ・フランンキス論評会でお会いしましょう!