冴えカノと空の青さを知る人よを見てきたのでその感想をいつか書きたい
(追記)まだぜんぜんわからん
『天気の子』は【大衆娯楽】であり作品の良さは「どれだけ多くの人が観たか」で決まるものだ
おはようございます。私は乙坂慶三といいます。
『天気の子 Weathering With You』には広告がぺたぺた貼られているのは皆さんご存知かと思います。
ヤフーチエブクロ、バニラ、ボス、カルビーポテトチップス、ようわからんパチンコ、JR新宿駅、ソフトバンクの犬、ドンベエ。どんべえのCMの曲。からあげくん。2分がうまいんだよ? ようあんなCM新海誠は許可したな。CCレモン。ちゃんとラベルをこっちに向けて置くなよ。
思いつくだけでこれくらいありますが。なんで新海誠及びコミックスウェーブフィルムは『天気の子』にこんなにぺたぺた広告を貼ったんでしょうね? 絶対広告が無い方がいいのに。
だいたいなんで「ほだかくん」がどんべえを食べている時に都合よくどんべえのCM曲がネカフェのパソコンから流れてくるんや?
これはメッセージだと思います。新海誠及びコミックスウェーブフィルムから私たちへのメッセージ。
「作品の良さはどれだけ多くの人が観たかで決まるものですよ。」と。
「私たちは作品の良さっていうのはその作品がどれだけ面白いかとかそういうベクトルで決まるとは思っていません。どれだけ多くの人が観たかとかどれだけ話題になったとかそういうベクトルで決まると思っています。」と。
『君の名は。』の大ヒット。次回作の制作陣にかかるプレッシャーは半端ないわなw
プロデューサーとか、作品制作に直接かかわらない人、宣伝担当者とかは「なんとかして君の名は。の売り上げを超えたい!!!」と、そう思うのが自然です。
本当は違いますよね。こう思わなくては。「なんとかして君の名は。より面白いと思ってくれる、感動してもらえる作品を作るために何ができるだろう。」
私は……そう考えてほしかったのかもしれない。だって君ら普通に食っていけてるだろ。明日の社員の給料払えないとかそんなんじゃないだろ。売り上げを上げようとしなくても生きるのに困らないだろ?
じゃあ作品の質を優先してよ。変な広告載せないでよ。
違う。本当は違うんだよなあ~w
売り上げっていうのはお金が増えるのと同時に「作品の””良さ””」をも向上してくれるものなんだよなあ~w
人気が人気を呼ぶんすよね~w「面白さ」ではなくて「面白いと言っている人がどれだけいるか」。「数字」。「1位」。
「満足度ナンバーワン」じゃなくて「満足度ナンバーワンという肩書き」これが欲しいんですわな~wだってそれが次の「数字」を獲得してくれるんだもんw
大丈夫だよ。面白さなんてもんは。それよりも「君の名は。」の「新海誠」が監督で「ラッドウィンプス」が音楽担当。こう言っておけばおkw
だって君ら「天気の子」を他の人に紹介するときなんて言いますか?w「君の名はの~~w」「新海誠が~~w」まずそう言うだろ?
作品の面白さについて語ろうとはしないだろ?
まあ語ったとしても「天気の子、神。」とか「感動したよ!」とかその程度よ。
ちょっとくらい質が落ちても気にならない人が大半だよ。ちゃんとほめてくれるよ。
だからお金が欲しいんだよ。駅の広告、テレビのCMでばんばん「天気の子」を宣伝しないと。「人気出てる感」「盛り上がってる感」「社会現象」を演出しないと。
だからもっとお金が欲しいんだよ。だから……『天気の子』本編に広告ぺたぺた貼っても許してくれるよね?
「天気の子」予告編に既にカルビーポテトチップスは登場していました。あの予告編が私たちへのメッセージ第一弾。「天気の子にはがんがん広告入れるから。よろしゅうな~。」と。
カルビーポテトチップスは一体いくら払ったんだろう。2分がうまいんだよ? は一体いくら払ったんだろう。
(あとがきのコーナー)
なんでこんな文章書いちゃったんだろう。
私は『天気の子』をちゃんと褒めてあげたかった。
実際、いままでに観た映画の中で2番目に感動しました。
1番目は。
まんがは芸術か?それとも大衆娯楽か?
バクマン10巻に「漫画は芸術作品か?それとも読者のニーズに合わせて書くものか?」みたいな問いが題材に挙げられていました。
(先日のワオのブロブの題材みたいに。)
書き起こしてみるとこんな感じ。
Aくん「漫画は芸術作品や! 自己実現の場や!」
Bくん「ぷぷw草wマンガはより多くの読者のニーズに応える商品なんやでw」
主人公くん「人の描く作品が全て芸術品なのが理想や。でも実際は才能のない人は売れそうな作品を描く。それでええんちゃう?」
みんな「おお~w」
これに関して……
ワオは「(僕は才能もなく売れそうな作品を描く器用さもない。だから……)これは自己発表なんや!w」 と言って日夜マイオナに逃げている。と思いました。草。
(追記w)
この命題に関して作中で有能視されている「服部さん」はこう言っていました。
「ワオはね、多くの人気を得る作品は多くの読者を楽しませる良い作品。それ以上は深く考えないようにしてるんやw」
大場つぐみさん。実在の服部さんは一体誰の漫画の担当をしとったんや?
この漫画の中で服部が強すぎて、草w
週刊少年ジャンプに「DEATHNOTE(全12巻)」「バクマン。(全14巻)」を連載、現在もSQに「架橋明日(だったっけ?)」を連載している人だからこそえがける悩みやで。「漫画は芸術作品か?それとも読者のニーズに合わせて書くものか?」なんていうのは。
大場つぐみさん以外のその他大勢の人は「そんなんどうでもいいわwとりま金くれればおkw」
そう考えてるはずだよ。
そうはいってもこの前少年ジャンプオンライン?に載っていた田中実くんの読み切りは神すぎて、草──。
最後に一つ言ってええ?
田中実くんの読み切りと同時に載っていた~Cキラ編~(当時ワオはこれをリアルタイムでジャンプで読みましたw本当ですw嘘ではありませんw)について質問があるんやが、ええか? 大場つぐみさん。
作中、Lが通話で「ワオは自分が興味ある事件しか捜査せんでwガハハw」と言っていたが、
本編でLはジェンキンス? とかペンドラゴン? とかいういわゆる「世界三大探偵」も「全てワイやでw覚えとけやw」と言っていたよな?
ジェンキンスもペンドラゴンも「L」が興味のある事件しか捜査しなかったんか?
なあ。答えてくれや。大場つぐみさん。
これだけが疑問なんや。
深夜アニメは【大衆娯楽】か?それとも【芸術作品】か?
おはようございます。
なんの脈絡もない話なのですが、先日「天気の子 Weathering With You」を見ていた時、作中で夏なのに雪が降りました。
その時帆高くんが「天気が陽菜さんと連動してる……」と言ったのですが、それを見た私は「親切すぎです。」と思いました。
天気が陽菜さんの感情や体調と連動していることを帆高くんは口に出して聞こえるように視聴者に説明してあげたわけですね。
映像作品の含意やダブルミーニングを考察したい奇特な批評家である私は「この帆高のせりふはいらないよ。言わなくても連動してることは描写から読み取れるよ。」と言いそうですが、実際はこの帆高くんのせりふは必要なのです。
だって映画は大衆娯楽だから。みんなが楽しめるものでなくては。わかりづらいところはちゃんとわかりやすいように。作者の意図が伝わるように。
作者が頑張って作った映像をず~っとみている人はごくわずかです。ぼ~っとしている人、他の事を考えている人。寝ている人。色々な人がいます。
あらゆる場面に伏線や描写をつめこんでいても、伝わらないことの方が多い。と思う。
安楽岡花火「もう、『あったか~い』の季節なんだね……」
しかし。説明しすぎない方がいい時もあります。
深夜アニメ『クズの本懐』最終話。主人公の安楽岡花火は自動販売機を見て「もう、『あったか~い』の季節なんだね……」と言いました。
そして次にカメラは捨てられた冷たい飲み物(何の飲み物かは忘れた)の紙パックを映しました。
作中での「紙パックの冷たい飲み物」は安楽岡花火と粟屋麦をつなぐ大切なキーアイテム。
それが捨てられており、花火が「もう、『あったか~い』の季節なんだね……」と言ったということは花火と麦の関係は捨てられてしまったということを暗示しているわけですね。
こういう作者が意図した暗喩を読み取った時。かつ作中で特にわかりやすい説明もない場合。私を代表する深夜アニメ批評家は快楽を感じるわけです。作者の意図を読み取ってやったぜ。と。
こういう点はその作品を特に高く評価する(いい作品だと思う・売り上げが上がる)理由になりえると思う。だから、深夜アニメは大衆娯楽になりきれない。
ぼけぇ~として頭をからっぽにしているすべての人に向けた作品を作るのがベストなのか? そんな作品は絶対に人気が出るのか? 売れるのか? それは誰にもわからないと思う。
(ここまで書いてちょっと思ったが、表向きは頭をからっぽにして見れてしかし、よくよく見ると色々な伏線、ダブルミーニング、暗喩があり、深夜アニメ批評家をも満足させる作品を作ったらいいのではないか? と思ってしまった。つまりいいとこどりだ。)
(また思ったが、視聴者は自分が大好きな作品Aを大人気作品にしたくてダイレクトマーケティングするなら「作品Aは上に書いたような作品です。ふわふわしていて楽しいけれど実は奥深いです。」と言えばいいのではないか?)
『フリップフラッパーズ』の最終回の次回予告はエヴァンゲリオンのぱくりだった
そんないいとこどりをした作品。それが「フリップフラッパーズ」である。
それはさておき、このアニメには楽しみ方が二つあると思う。
ひとつめは、このアニメのキャッチコピー「変身する二人のヒロイン!」に表現されているように、パピカとココナが繰り広げる冒険を純粋に楽しむというものである。毎週のバトル。そして「フリップフラッピング!」の掛け声からの変身。それらに心躍らせるというものだ。
ふたつめは、このアニメのイントロダクションの一節「あなたには、世界はどう見えているんだろう」に表現されているように、製作者が物語の中に隠した元ネタ、含意、ダブルミーニング、などを調査、考察するというものである。
少し辛口採点だろうか? 持論だが、そんなことはない。『フリップフラッパーズ』という深夜アニメがある。
『フリップフラッパーズ』は、"いい作品を作ろうとしてヒット作になった"という稀有な例である。
私のブログから引用してきた文章であるが。私が言いたいことは『フリップフラッパーズ』制作陣は【芸術作品】を作ろうとしていた、ということ。
自分たちのやりたいことだけやった。大衆娯楽になろうとはしなかった。
しかし、できあがったその芸術作品は大衆娯楽足りうる要素も兼ね備えていたと、こういうわけである。
ありがとう、プラスティック・メモリーズ
色々書いたが。私にとってのプラスティック・メモリーズは「大衆娯楽」でも「芸術」作品でもどちらでもない。
私にとってのプラスティック・メモリーズは何物にも形容しがたい、代替しがたい、
そんなものだ。
ありがとう、プラスティック・メモリーズ